THE PRIMALS Live in Japan - Beyond the Shadow

題名の件、6/5(日)に幕張メッセに行ってきました。なお前日には FC メンでカラオケルームに集まって配信を見て予習をしていました(後述)。

自分はヒカセンになったのが最近?でもあるので、オケコンは行ったことあるんですが、「THE PRIMALS」のライブはこれが初めて(ライブの円盤は持ってる)。正直行くかは迷ったです。結果としては行って良かったのですが、色々と複雑な想いも湧いてきたため、その辺をこの記事で供養しようと思います。そんなに楽しい内容じゃないのでご注意ください(全て前向きな感想を見たい方は引き返したほうが良い)。

まず思ったのは、かなり真面目な内容のライブだったなと。コロナ禍でリアルイベントに飢えたヒカセンに向けた、とにかくみんなこれが聞きたかったんでしょ??という期待に応えた形のボリュームとセトリで、おそらく現時点では最高の内容で、これに不満を抱くヒカセンはいなかったんじゃないかな。真面目というのは演奏にも現れていて、過去のライブやアルバムの音を几帳面に再現してるなあと感じました。このへんはヒカセンの期待に対する違和感を、極力なくしたかったんじゃないかなあと想像します。もう少し各人のソロ演奏が多くても良かったかなとは思いましたが、曲数の多さを優先したんじゃないでしょうかね。

植松さんの登場は、個人的には嬉しかったんだけど、ソロ演奏で MC なしで尺長めで FF14 では流れない曲(FF1 フィールド)もやったりしたので、これ聴いてる人たち大丈夫かなあ…と、余計なことも思いました。しかしまあ、これは恐らく祖堅さんによる植松さんへの最大限のリスペクトの結果でもあるなあと。植松さんはもうスクエニ離れてだいぶ経つのに、単独で呼ばれるのはすごいことよね。

ここでひとつ昔話をすると、植松さんは「THE BLACK MAGES」というバンドを主宰していたことがあり、自身のライブ内で他のスクエニ社員をゲストとして呼んだりしてたんですね。正直誰?って感じだったんですが、あの頃はなんかゆるかったなと唐突に思いました。

さてここからはやや後ろ向きな話を。

会場に来ている人たちがみんな若い!!女性も多い!!それ自体はとても喜ばしいのですが、そんな中に自分のようなおっさんが参加するのは、なかなかの肩身の狭さがありました。まあ誰も自分のことなんて気にしてないし、余計なことを考えずに楽しんだほうが良いのはわかるんですけど、それでも気になるお年頃なんですな、、みなさんも私と同じ歳になったら同じようなことを思うかもしれません。

自分の FF14 に対するスタンスの軽さも多少影響しているかな。やってない ID とか蛮神とかの曲が流れると、何だっけこれ見たことあったっけ?という感想と、ああ、予習が足りてなかったなあと。全力でライブに臨む姿勢が足りてないな自分はと、後ろめたい気持ちが出てくるんですね。要は FF14 というコンテンツのボリュームについていけてないことを痛感させられるんです。昔はそんなことなかった気がするんですけどね。実はそんなこともなかったのかも。

まあこう書いてみると、くだらんことでウジウジしてるなと思います。要するにコンテンツに対する熱意とパワーが不足してるので、ポジティブ側に振り切れないんですな。そんな事を考えながらもライブ自体はとても楽しませていただきました。次回以降はどうするかは悩むところ。

さて、この記事の最初ほうでカラオケルームのことを書きましたが、そのときに酒を飲みすぎて、妻を筆頭に皆様に大変な迷惑をかけてしまったことをお詫びします。お酒の会は楽しいものであるべきと常々思っておりますが、自分が加害側に回ってしまい、参加された方に不愉快な思いをさせたことは猛省すべきことです。本当にすみませんでした。

お酒を飲むときはチェイサーを絶対飲みましょう。。それでは皆様よきエオルゼアライフを!

ゲーム音楽おじさんがこの先生きのこるには

きのこるシリーズを書いてみたかったので書いてみる。

皆さんは「ゲーム音楽おじさん」をご存知だろうか?多分ご存じないだろう。要するに自分のような「ゲーム音楽ばっかり聴いているおじさん」のことで、自分がさっき定義したのでご存じないのは無理もないことだ。

先の記事で「S.S.T.BAND」「矩形波倶楽部」の再結成のことを書いたが、どちらも 1990 年前後のゲーム音楽ブームを支えた人気バンドだった。特に「矩形波倶楽部」については、2018 年の再結成まで音沙汰がなかったため、自分の中ではエライコッチャの大騒ぎであった。しかし、あの「矩形波倶楽部+國府田マリ子」の名を冠してもライブ会場が満席にならないという事実は、色々な事情はあっただろうが、あの「矩形波倶楽部」を知る身としてはなかなかショックであった。大げさに書くと「ゲーム音楽おじさん」は希少種なのだと改めて気付かされた。

さて「ゲーム音楽おじさん」を一言で説明する。セガなら「アフターバーナー」「アウトラン」、ファルコムなら「イース」「ソーサリアン」を真っ先に挙げるようなタイプの人種のことです。しかし近年ではネット上でもほとんど観測されないため、私から絶滅危惧種に指定されている。感受性豊かな時代に聴いた古い曲を至高とするので、頑張って最近の流行り曲を聴いてみても、実際にプレイしていないゲームの音楽はどうしてもピンとこない。ゲーム音楽を一つの括りとして捉えて、プレイ経験の有無に関係なく、音楽の内容で聴く的な風潮もあるが、そこに適応しきれないので、緩やかに絶滅に向かっているのだ。

ここで「ゲーム音楽おじさん」を嘲笑するのは実に容易い。しかし、人生で初めて自力で好きなものを見つけた!という原体験を否定することはなかなか難しいものだ。これはゲーム音楽に限らずどのジャンルでも有り得る話で、そこを自分から否定することに意味はない。また、赤の他人から指摘するのも実に野暮な行為だ。若い頃は他人の趣味嗜好に口をだす機会も多いのだけど、大人になると基本的に放置されるので、若い頃よりも堂々と突き進むことができる。こうして「ゲーム音楽おじさん」はどうにか生き残ってきた。

最初に戻って「ゲーム音楽おじさんがこの先生きのこるには」という問いへの回答は「好きなものを好きなだけ聴いてよし、ただし他人に強制しない」となる。聞かれてもないのに「イース」「ソーサリアン」を語り始めてアドバイス罪で起訴されたくないなら、どうかこれを守り続けて欲しい。なおこれを読んでいる若い皆さん(がいるとは思えないが)においては、貴方方も将来ほぼ確実に同じ状況に陥るけど気にせずに今は好きなことをしてくださいませ。

「ほぼ S.S.T.BAND」と「ほぼ矩形波倶楽部」

S.S.T.BAND」と「矩形波倶楽部」、往年のゲーム音楽ファンであれば名前くらいは知っているであろう、国内のゲーム音楽ブームの第一次最盛期を支えたバンド名。そのオリジナルメンバー(全員ではない)が集まって、ここ 10 年ほど活動をしているのはご存知だろうか。1990 年頃に開催されたライブには足を運べなかった自分はその後悔の念を胸に、再結成後のライブに何度か足を運んでいた。その思い出をここに記しておくものである。

再結成と言っても、「S.S.T.BAND」の並木晃一さんは「Blind Spot」、「矩形波倶楽部」の古川もとあきさんは「HEARTY MUSIC CLUB BAND」というバンド名をつけている。当時と違ってセガコナミの社員として活動するわけではないので、通称?として「ほぼ」が頭に付いている(ようだ)。「Blind Spot」は 10 年前の 2011 から活動して、今年(2021)に活動を停止した。「HEARTY MUSIC CLUB BAND」は 2018 年から活動中。詳しくは Wikipedia でも見てください。

素人目から見た「Blind Spot」の特徴は「とにかくお前らこれが聞きたいんだろ?」という熱意と物量で「アフターバーナー」「アウトラン」「スペースハリアー」などのセガ曲をぶつけてくるところ。オリジナル曲もあったりするけど、要するに「最初期のゲーム音楽バンドブームからゲーム音楽を聞き続けているセガ大好きっ子たち」をターゲットに、当時のライブの再現をしよう、とするバンドであった。

対して「HEARTY MUSIC CLUB BAND」は、結成当時のライブではコナミ曲が多かったが、先日のライブではコナミ曲は実に控えめで、インディーズゲーム中心なセットリストになっていた。まさに現在と今後の古川もとあきさんを支えるための演奏であった。これは恐らく先日のクラウドファンディングを支えた人たちへの配慮もあったのだろうたぶん。

結成当時は両バンドに対する印象は同じだったけど、今年になって方向性の違いが見えてきたのが興味深い出来事だった。なお今年のライブの集客については、話題性の点から「Blind Spot」は満員御礼だったが、「HEARTY MUSIC CLUB BAND」はほどほどのように見えた。後者はチケット代の高さもある程度響いたのではないかと個人的に思っている。

残念ながら「Blind Spot」は活動を停止してしまったが、もしまた活動することがあったらまた聴きに行きたいと思っています。なんかもっと書こうと思ってたけど言いたいのはそれだけです。

龍が如く1〜6+0

題名通り。私は6までプレイして、桐生一馬編が一定の決着を見たので筆を執る。特に改行しないけどネタバレ多々ありますのでご注意。

プレイ順は1〜5→0→1極→6。今となっては自分がなぜ「龍が如く」シリーズをプレイしようと思ったのかまったく思い出せないけど、話題になってたしセガが好きだったし、みたいな適当な理由だったと思う。ちなみに2から3までのブランク期間は長く、3〜6までは一気にプレイした、ということを予め書いておく。

このシリーズの評価はなんとも難しい。ハードボイルド路線なのは見た目だけで、随所にセガ独特のおふざけ感があり、様々なサブストーリーやミニゲームがてんこ盛りで、メインシナリオとシステムとのアンバランスさ加減がシリーズの根幹となっていると自分は思っているが、世間的な評価は別にあるかもしれない。ともかくざっとシリーズをまとめて振り返ってみる。

純粋に初代は面白かった。荒削りな部分は多々あったけど、学生時代にお世話になった(?)新宿を、リアルな映像で歩き回れるのはとても楽しい経験であったし、シナリオもなかなか凝っていたと思う。極1をプレイしないと、錦の行動は意味不明すぎるが、、あとシナリオ的にフラグ立てが多いのは、初代ということで熟れてないので仕方ないところ。

2は続編のジレンマというか、頑張ってはいるんだけど、ちょっと空回りしていたかなという感じ。関西と戦うことになるってのは定番といえば定番なので、意外性がなかったなと、、そいえば女刑事との話どうなったんだ???

3〜5まではメインシナリオのとっ散らかり感がすごくて、ほぼ印象に残っていない。この3作はミニゲームなどの充実に完全に舵を切っていた感がある。とにかくメインキャラ達の扱いが雑で、やたら中ボスが多く、敵キャラが重要なことをしゃべるシーンになるとやたら銃で撃たれる雑な展開が続いて辟易した。しかしそんな中でも秋山は特にキャラが立っててお気に入り。逆に大吾の扱いが毎回ひどくてかわいそうだった。

そんな迷走(と個人的には思っている)を経たあとの0と6は 、メインシナリオがグッと締まって、初代に近い味わいを得ることができて、自分としては満足の行く仕上がりとなっていた。0は真島ちゃんがカッコ良すぎるし実質主人公だったけど、1以降の奇行を知る身としては、結局何が真島ちゃんを変えたの?という疑問は残った。

6については、3〜5までのとっ散らかった部分を強引にまとめつつ、桐生編を完結させるために、脚本家はさぞかし苦労したんじゃないかなと思う。最後のオチは、色々と厳しい評価もあるようだけど、完結という点では、これ以外にまとめられる方法なかったんじゃないかな。桐生ちゃんが単純に死んじゃったら、それこそファンは怒るでしょう。個人的には尾道の秘密とやらが、戦艦か潜水艦かなとか思っていたらそのまんまだったので驚愕しました。桐生ちゃんが超大和型戦艦の艦長になって東京湾からミレニアムタワーを砲撃したら伝説になったと思うんだけどね。つーかあの頃の戦艦建造って資金よりは物資面で厳しかったんではとか思う。

5以降の遥の行動は、もうちょっとどうにかならんのかなと思ったけど、子供ってのは親の思う通りには絶対行動しないというのは、6では他の親子でも終始一貫していたので、まあそんなもんでしょ的な感想。1の遥に始まって6の遥に終わる、これは遥ゲーだったんだね。んなわけあるか!

7は評判が良いのは聞いてるのでいつかプレイするかも。とりあえず桐生ちゃんお疲れさまでした!

ファンタジアン 前編

終わりましたので感想を投下。 以下ネタバレ全開要注意!!

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坂口博信さん率いるミストウォーカーの最新作、音楽も植松伸夫さんがフル参加ということでしたが、自分は当初はあまり興味ありませんでした。しかし、信頼するゲームレビューサイトの高評価や、各所のインタビューでの坂口さん植松さんの「コレが最後になるかもしれない」的な匂わせ(?)発言、そして「Apple Arcade」という未知のプラットフォームへの興味に負け、プレイ開始。ちなみにミストウォーカーといえば「テラバトル」は自分には合わなかったのですが「ラストストーリー」はかなり好きな部類だったです。

結論から申し上げれば「可もなく不可もないごく普通の JRPG」という評価です。プレイ感は FF7,9 あたりに近いかなと。「ラストストーリー」で FF との差別化はある程度成功したと思ってましたが、ここにきて FF シリーズに近くなったなあと。

ジオラマを多用した背景は美しく、眺めるだけでも楽しかったです。あと「ディメンションバトル」はなかなかの発明かなと思いましたが、よく考えると、エンカウントバトル自体がもう時代に合わないけど、採用した以上はそれをなんとか快適にしてみた、的な発想だと感じました。つーか戦闘が長引きやすいので、何度か寝落ちしました。以下つらつらと列挙。

  • レオアの発言がやや乱暴。顔が綺麗な分、チグハグな印象を受けた。というか記憶喪失という設定はもういいです
  • キーナとシャルルの関係性はホクロで分かるよね
  • 鍵が開かない宝箱が多すぎて萎える(鍵は敵ドロップばっかり…)
  • 後半のボス戦がキツすぎるのと時間稼ぎイベントが多すぎ。前半の快適さはどこへ…?
  • 最後の方はレベル上げが正義で、メンバーも固定なので、戦略性がほとんどないように感じた
  • 音楽は植松さんだなあ…と誰もが思う安心の出来だけど、ここまで FF っぽくていいのかなとも。サントラ出てくれ

まあだいぶ厳しい評価になりましたが後半もやります。だって最後なんでしょ?(ほんとかな?)

ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島

だいぶ前にクリアしたけど感想をかけてなかったので少しだけ。

このシリーズはプレイした人たちからの評判がすごくいいというのと、特に2がいい、という口コミを信じて購入しました。1もマインクラフトも未プレイだったので、どうなることやらと思いましたが、実に懇切丁寧にゲームが進むため、そのへんはまったく安心しながらプレイできました。致命的な進行不可バグがあるらしいと聞いてましたが、妻が先にプレイしていて注意点を教えてくれていたため、最後までバグには遭遇しませんでした。

さて・・・我々ドラクエど真ん中世代としては、ハーゴンやらシドーやらムーンブルクやらという名前が出るだけでテンションアゲアゲなわけです。考えてみれば、ドラクエ II のその後を描いた作品というのは、これが初めてなんじゃ?(他にあったらすいません)。単なるファンサービスにとどまらず、原作リスペクトを随所に散らしながら、if としてのドラクエ II の世界を巡る体験が 30 年間を経てできるなんて、製作者の皆様には感謝の一言です。ロンダルキアローレシア城の幻を見せられたときは本当に感動しました。ストーリーの展開を無視して早い段階でロンダルキアに到着して現地のモンスターたちに「まだフラグ立ってません」的なセリフを匂わせられてしまった点だけが悔やまれます。

全編を通じて創造と破壊という相反するテーマを主人公とシドーくんに役割分担させるというのも、ドラクエ II のための設定だなあと感心しました。んで、自分が創造したものを破壊されるというのは、世の中の物語にはよくありますが、実際に破壊されたときのダメージと怒りは凄まじいなと。マギールが殺されたときは「おのれ、、、、よくも、、、よくもマギールを!!!!!ヒババンゴ絶対許さん!!!!!!」と、ドラクエでは雑魚キャラのヒババンゴにこんなに怒りを感じたことはありませんでした。ここはマインクラフトの創造性をうまく演出に使ってましたね。

各キャラのセリフはとにかくドラクエ節全開で、堀井雄二さんがどこまで絡んだかはわかりませんが、短文なのにわかりやすくてしかも面白いので、シナリオライターさんには拍手を贈りたいです。ちょっとした違和感はエンディング前に各キャラが饒舌に喋りだしたときくらいです(いいこと言ってるんだけど、ちょっと説教臭い&語りすぎだなあと、めんどくさい感想を置いておきます)。先のリスペクトもそうですが、ドラクエ大好きなスタッフたちが作ったんだろうなあとは想像できます。ただ、シドーくんとのハイタッチとか、先の違和感と併せて「よくできすぎている」箇所が、逆に優等生を目指しすぎてるかなあと思いました。昔のドラクエはもうちょっと隙があったので、現代風な作り方だと、こうなってしまうのは必然なのかもしれません(製作がコーエーテクモなのも若干関係あるのかなと)。

とても良くできているので点数は付けられません。ロトの子孫たちに光あれ!!

ラーヤと龍の王国

件の映画を見てきましたので感想を投下。 以下ネタバレ全開要注意!!

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一切前情報を仕入れることなく観賞に臨んだので、同時上映の「あの頃をもう一度」を観て、「ほお〜、現代風ミュージカルから龍に繋げるのか・・・すごいな・・・」とか思ってた。ちなみに「あの頃をもう一度」はめっちゃ泣けます。

物語は RPG 風な立て付けで、五国を回って龍の石を集めることになりますが、あまりにも典型的な RPG っぽくて心配になりましたが「石を奪った殆どの国が瀕死状態」という変化球で、上手いことやるなあと思いました。ただし、大きく物語が動くのは五国を廻ったあとになるんだろうなあと身構えてしまったため(実際ほとんどそのとおり)、分かりやすさとハラハラ感は背反するものだなと。。

シスーが「グループの中で一人できないやつがいても云々」と話す下りは、苦笑いと共に、これを映画の中で言語化するのはすごいなあと思いました。あと、高乃麗さんの演技が素晴らしく(ちなみに吹替で見ました)、さすがマリア・タチバナさんは格が違うなと(後で気づいた)。

その他もろもろ含め、やはり天下のディズニー映画だけあって重箱の隅まで含めてまったく隙がないです。しかし、、この映画は、最終的にはラーヤのお父さんもシスーもその他の国の人達も結局誰も死ななかった(犠牲にならなかった)わけです(石になるという設定で、オチは見えていたわけですが)。特に比べるわけではないんですが、同じドラゴン映画?である「ヒックとドラゴン」は、ヒックもトゥースも最終的には一定の痛みを伴うんですね。こういう、心にチクっと刺さる部分がなかったのがちょっと残念だったなあと。繰り返し訴えかけるメッセージ性も素晴らしいんだけど、自分の中に残るものが、なんかちょっと少なかったなあ、というのが俺的な総括です。まあディズニー映画だからなあ、という感想になってしまうのは、なんかもどかしい感じもしますが、決して作品の価値を貶めるものではありません。

なんか色々書こうとしたけど言いたいことは最後のところなのでまいっか。点数としては5億点です。

追記:そいえば「龍は人間しか助けられなかったのに、なんで最後は人間と龍が助かったのか?」については「龍に助けられた人間が、龍と人間を助けたい」という信心を得たおかげだったのかなと思います(龍は人間のことしか考えてなかった)。パンフレット買ってないのでそのへんが書いてあったらすいません。